網膜色素変性症に対処するための一考察

isoe(2018/04/24 改訂)


 

目次

1. はじめに

2. 自己鍛錬

3. 便利な道具

4. サプリメント(健康補助食品)

5. だから人生は面白い!

 


1. はじめに

 「あなたは網膜色素変性症です。この病気は治療法も治療薬もなく、あなたは将来失明する可能性が非常に高い。」
 こんな事を医者から言われて、驚かない人はおそらくいないでしょう。高校2年生だった私は、医者からの思いがけない宣告に、頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなりました。おそらく、私の両親も同じだったでしょう。そして、その当時はインターネットなど無かったので、この病気に関する情報がほとんどなく、医者さえもあまり病気のことをよく知らないようでした。何にどう対処すれば良いのかまったくわからずに、ただただ途方に暮れていました。
 しかし、そうして手をこまねいている間にも、病気は徐々に進行していくので、何も対処する方法がわからない状況に、無力感や絶望感、そして喪失感を感じていました。まるで真綿で首を絞められているかのような心境でした。
 ただ、幸か不幸か、この病気は命には直接影響はありません。そして、私の場合は急激に悪くなって失明することはないと、医者から言われていました。つまり、ジタバタできる期間が残されていたのです。
 「人はまいた種を刈り取ることになる」と言う格言があります。つまり、先を見据えて、今、何を行うかで、将来が変化すると言うことです。今は辛くても、将来的に少しでも楽になる方法が、何かあるかもしれません。少なくとも、何もしないで黙っているよりは、生活しやすくなる状況を作り出せるかもしれません。ジタバタすることで、道が開ける可能性があるならば、やってみる価値はあると思うのです。
 それでは、以下に私がどのようにジタバタしてきたか、いくつかの実例を踏まえながら、網膜色素変性症(以下RP)に対処するための提案を述べていきたいと思います。

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2. 自己鍛錬

 「ローマは一日にして成らず」という言葉がありますが、何事も小さな努力の積み重ねが功を奏するのではないでしょうか。
 RP患者は確かに視野が狭くなっていったり、視力が衰えていったりすることは避けられません。しかし、ものの見方、ものを把握する能力は訓練によってある程度その精度を高めることができます。

 例えば、私の場合、高校2年生でRPであることがわかりましたが、発症はおそらく幼少の頃からだったと思います。それで、高校3年生ぐらいになると徐々に文章を読むことが困難になってきました。行を移るときにどうしても同じ行を二度読んだり、1行飛ばしてしまったりするのです。特に、楽譜を読むことは非常に難しく感じました。私はピアノをずっと習っていましたが、ある曲を練習するのに、1ページをざっと弾く練習に1時間もかかることがありました。
 そんなときに、テレビで「奇跡のスーパー速読法」と言う本が紹介されているのを見ました。要するに、瞬時にして1ページを読みとり、パラパラと本をめくるだけでその本の内容をすべて把握するという曲芸のような技です。それを見たとき、「これだ!」と思った私はさっそく本屋さんでその本を買い求め、中に書いてある訓練法を実践しました。
 効果は1ヶ月ほどで現れました。確かに、1ページを一目で見るなんて事はできませんでしたが、行を飛ばさずに本を読めるようになりました。さらに、楽譜も普通に読めるようになりました。30歳を過ぎて、高校生の時よりも病状が悪化して、活字を読むことに抵抗を感じていましたが、それでも、読書力そのものは、さほど衰えているようには思いませんでした。。少なくとも、同じ行を読んだり行を飛ばすことは少なかったように思います。ただ、40歳を過ぎてから、視力が衰え始め、ルーペを用いないと新聞を読めなくなってきました。45歳を過ぎた頃からは、中心視野も欠けてきて、拡大した文字も判別が難しくなりました。したがって、障害の程度が上がると、速読法のようなテクニックも通用しなくなります。それでも、20年余りは、訓練していたことが役に立ちました。

=補足=
 今思うと、私は速読の技術を身につけていたわけではなく、目の動きを正確にコントロールする技術を身につけていたように思います。裏を返せば、視野が欠けることによって、左右の目が連動しにくくなり、それで視覚的情報を思うように把握できなかったと考えられます。それで、訓練で左右の目が連動するようになって、一時的に視覚情報を把握する力が回復したのです。しかし、視野がほとんど欠けた状態では、左右の目も連動できなくなり、何が見えているのか把握できなくなったのでしょう。

 次に、私を悩ませたのが、ピアノの鍵盤がわからなくなることでした。つまり、ピアノを弾いている途中で、離れた鍵盤に手を移動させるときに目標の鍵盤を見誤ってしまい、思わぬ間違いをしてしまうのです。でも、10年もピアノを習っているのだから、鍵盤のだいたいの位置は既に把握しているはずです。ですからこの場合の問題は、狭い視野で鍵盤を見ているため、目標の正しい鍵盤を「間違いである」と誤って判断してしまうことでした。つまり、自分の目ではなく、自分自身の感覚を信頼することが必要だったのです。
 それで、私は目隠しをしてピアノを弾く練習をしました。他人にとっては、曲芸の練習でもしているかのようにしか見えなかったことでしょう。でもそれは、自分自身への不信感との戦いです。誰にどう思われようと、自分の感覚を信じることができれば、それほど鍵盤を間違えることなど無いとその当時は確信していました。なぜそこまでするのかというと、自分は教育大学の音楽科へ進学することを希望していたからです。
 結局、一浪はしましたが、無事大学へ進学することができました。しかし、目隠しの練習は大学に入ってからも続けました。そのおかげで、ピアノを弾く上で何の不自由も感じなくなりました。鍵盤は見なくとも、全ての鍵盤の位置関係を把握しています。そして、それ以上に自分自身への信頼、「自尊心」を取り戻すことができました。

=補足=
 50歳前後になると鍵盤そのものが、もう見えなくなりました。それでもピアノを弾けます。全盲のピアニストも活躍しているので、必要な練習を続けていれば、視力障害はピアノを弾く上での障害にはならないことを実感しています。

 そして、もう一つ事例があります。これは自分が特に努力をしたと言うものではありません。全くの不可抗力です。しかし、継続的な努力が思わぬ「適応力」を身につけることになった実例と言えるかもしれません。
 私は、音楽教室で生計を立ててきましたが、レッスンの中で「おんぷカード速読検定」を行なっていました。30枚のカードを所定の時間内で読めれば合格という、ごく簡単なものですが、生徒よりも速く読んで、生徒の答えの正誤を判定しなければなりません。しかも私は逆さまで読まなければならないのです。でも、生徒が音符を読むスピードは、最初はとてもゆっくりなので、私も徐々に慣れて、普通に正誤を判定することができました。ところが、何年か経てあることに気がつき、自分でも非常に驚きました。
 もともとは生徒が楽譜を速く読めるように考案したものでしたが、なんと、私自身も楽譜を読むスピードが速くなっていたのです。最初に述べた速読法の訓練は高校生の時に行っただけで、それ以降は全く行っていません。読譜のスピードが増した原因は、「おんぷカード速読検定」以外には考えられないのです。つまり、生徒達と一緒に音符カードを読む訓練をしているうちに、私自身も素早く音符を読む力がついていたのです。
 ここで注目していただきたいのは、私は病状が悪化しているのに、楽譜を読む力が向上したという事実です。「継続は力なり」という言葉が、まさにそうなったのです。
 ただし、誤解をしないでいただきたいのですが、私は「速読法」や「目隠し訓練」など特定の方法を勧めているわけではありません。私が言いたいのは「障害を持っていても、人間は進歩できる」と言うことです。たとえ失明したとしても、それに適応するための訓練を受けることにより、新しい目標に向かって進んでいくことは可能なのです。肝心なのは「あきらめないこと」。そして「続けること」です。障害を負っているからと言って、それが私達の「人間としての価値」を下げるなどと、決して考えるべきではありません。

では、将来に向けてどんな努力を払えるでしょうか。例えば、「点字」の学習を始められるかもしれません。お住いの地域によって、状況は異なりますが、もし、お近くに点字を学べるようなところがあるなら、まだ見えるうちに、自分でそこへ通えるうちに教わっておくと、後々それが役に立つことでしょう。
 点字は読み書きできるまでにかなりの時間がかかります。知識があっても、指先が覚えなければすらすら読めません。また、点字を打つときは、読むときと反対に綴らなければなりません。ですから、慣れるまでにかなりの時間がかかります。
 お近くに点字を学べるところがないなら、独学で練習するしかありません。私は東京点字図書館の購買部に電話で問い合わせ、必要なテキストやキットを購入して、独学で練習しています。ピアノの練習より大変です。もっと早くに点字図書館の存在を知りたかったと、心底思います。

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3. 便利な道具

 科学技術が進歩し、福祉に関しても見直されている今の世の中ですが、盲人やそれに類する人にとって便利なものも色々と開発されています。そうしたものを上手に使うことによって、新たな活動を行うすべを手に入れることができる可能性が広がります。

【サングラス】

 RP患者にとって一番身近なのはサングラスです。強い光線は目が痛むし、病気の進行にも少なからず影響を与えるかも知れません。だから、多くのRP患者はサングラスを利用して目を保護しています。その中で、一番知られているのはHOYAの「レチネックス」レンズです。このレンズはメガネ屋さんでも「網膜色素変性症患者のための」と銘打って紹介されている場合もあるほどで、愛用している人は多いのではないでしょうか。レンズの濃さと色は数種類ありますが、自分の病気の度合いや好みによって選ぶことができます。私はブラウン系の一番濃いレンズを使用していましたが、普通のサングラスだと車のボンネットに反射する光がまぶしく感じたりするのに対して、レチネックスはその光さえまったくまぶしくありませんでした。ただし、建物の中では暗いので、サングラスをはずさなければなりませんでした。さらに、私は乱視なので、度の入ったサングラスと普通の乱視のメガネの両方を使って、必要に応じてメガネを選んで使っていました。だんだんそれが面倒になり、やがて跳ね上げ式のフレームを用いるようになりました。つまり、内側に乱視の普通のレンズ、外側に度の入っていないレチネックスレンズを使用した2枚レンズのフレームです。建物の中に入ったときはレチネックスの部分を跳ね上げて、普通のレンズ(紫外線防止はしてある)で、ものを見ることができました。この手のフレームは色々な種類がありましたが、現在はあまり需要がないのか、私の居住地のメガネ屋さんでは見かけなくなりました。
 そして、レチネックスの他に「タレックス」というメーカーもあります。このタレックスのレンズも目を保護する役割を果たせますが、タレックスと専属契約をしているメガネ屋さんでしか購入することができません。ただし、種類はレチネックスよりも多く、OA用のレンズなど用途に合わせて選択することができます。
 その他、「TOKAI」と言う医療用レンズメーカーもあります。このメーカーを取り扱っているメガネ屋さんには、実際に目に当てて見え方を確かめられるサンプルが用意されています。それで、自分の目にあった色や濃さを試させてもらうことができます。
 私はロービジョンクリニックで、TOKAIのレンズを紹介されましたが、地元のメガネ屋さんでは、最初、取り扱っていませんでした。しかし、そのメガネ屋さんは親身に私の相談に耳を傾けてくださり、他のメガネ屋さんを通じて、TOKAIのレンズを取り寄せてくれました。そのおかげで、現在は屋外ではTOKAIのレンズ、屋内ではタレックスのレンズを用いたメガネをかけています。地元のメガネ屋さんはそれを契機に、TOKAIとも取引を始め、今や大手メガネチェーンと変わらないほどの、たくさんのサンブラスを扱っており、サンプルレンズも非常に多く、様々な症状に対応できるようになりました。

=補足=
 RPの終末期になると、色覚異常が起きる場合があります。私は赤色が見えなくなり、世界がほぼモノトーンに見えます。しかし、自分に合ったレンズを選ぶことで、コントラストをはっきりさせ、いくらか物を判別しやすくなりました。最初に使っていたレチネックスより、TOKAIのレンズの方が現在の症状に適していました。

【PC・スマートフォンなど】

 パソコン、タブレット端末、スマートフォンなどは、ズーム機能やカラーの反転に加え、画面の状況や文字を読み上げる機能が搭載されています。それらはメーカーによって呼び名も使い方も異なりますが、そうした機能を使いこなすことで、様々なことができます。特に、情報収拾やコミュニケーションの手段として、今や必要不可欠なものとなっています。
 ただ、そのような視覚サポート機能は、目が健康な人には全く必要がなく、お店の店員やメーカーのサポートでさえ、使い方を知らなかったりすることは少なくありません。ですから、使いこなすためには、面倒でも自分で調べるか、すでに使いこなしている視覚障害者にアドバイスを求めるしかありません。
 私はAppleの製品を使っていますが、使いこなすまでにサポートに何度も電話をかけ、必要な情報を引き出しました。時には、サポートの担当者と様々な検証を行って、何ヶ月もかけてApple本社に改善を要求したこともあります。そうやって意見を述べることで、視覚サポート機能は徐々に改善され、だんだんデバイスが使いやすくなってきています。
 OS標準搭載の機能の他に、視覚障害者に役立つ様々なアプリがあります。そのようなアプリを使うことで、さらにデバイスを便利に使うことができます。

【拡大読書器】

 印刷物を読んだり、書類や手紙を手書きしたい場合には、拡大読書器が役立ちます。ただ、拡大読書器にも色々なタイプがあり、携帯型、据置型、多機能でボタンが多いタイプ、機能を絞り込んだシンプルなタイプなど、様々なものがあります。大きなメガネ屋さんにはデモ機が置かれていて、実際に試すことができます。私は地元のメガネ屋さんに相談したら、デモ機をメーカーから借りてくれました。ただし、送料はこちら持ちで、7千円もかかりました。でも、実際に試して見て、使いやすい方を選ぶことができたので、大変助かりました。それ以降、そのメガネ屋さんでは拡大読書器も常時扱われるようになりました。

【その他のデジタル音声機器】

最近は、音声で知らせてくれる便利なデジタル機器が増えてきました。例えば、音声デジタル腕時計、音声デジタル血圧計、音声デジタル体温計、音声デジタル体組成計などです。その他、家電でも音声で知らせてくれるものがありますし、スマートフォンなどでコントロールできる家電も増えています。このような機器のおかげで、いちいち画面を拡大して見なくても、様々な操作ができるようになってきています。

【白杖】

 さて、便利な道具の中で、もっとも身近にあり、もっとも敬遠されがちなものがあります。それは「白杖」です。この白杖(正式には盲人用安全杖)を持ち歩くと言うことは、「自分は視力障害者である」と公に宣伝するようなものです。だからこそ、完全に失明していないRP患者にとっては非常に抵抗感があります。また、「完全に失明していなくても白杖を持ち歩ける」という事を知らない人もいるかもしれません。私も、ネット上の色々なサイトを見て、自分も白杖を持ち歩くことができると言うことを初めて知りました。そして、道路交通法で「盲人又はそれに類する人は、道路を横断するときに盲人用安全杖を所持することを義務とする」という事が定められていることも知りました。しかし、白杖は盲人の象徴的役割以上に、実際に便利な道具なのです。
 RP患者は症状によって、見え方は人それぞれです。杖の必要性を感じない人もいるでしょう。私は障害者に認定された時、いきなり第1種第2球で認定されたので、自分でも驚きました。自覚症状ではそれほど重症だとは思っていなかったからです。しかし、このままではいつか失明することは避けられないと考え、かなり抵抗はありましたが、とりあえず、折りたたみ式の白杖を購入しました。少しでも杖を持ち歩くこと、それを使うことに慣れておけば、将来的に助けになると考えました。その後、病状が悪化し、白杖だけが頼りになってきたので、盲導犬のセミナーに参加した時に、白杖訓練士の肩に、正しい使い方をレッスンしてもらいました。
 白杖にも様々なタイプがあります。特に、先端の「石突き」の部分はメーカーによって、それぞれにこだわりがあります。白杖は体の一部のようなもの。釣り師が釣竿を選ぶように、私たちも自分にとって最も使いやすい白杖を選びたいものです。ただ、残念ながら、サンプルを手にできるのは、盲学校や点字図書館があるような都会だけです。地方に住んでいる限り、ネット検索をしたり、福祉機器を扱っているお店やメーカーに直接相談するしか方法はありません。
 私は現在3本の白杖を所持しており、1つは折りたたみ式で、先端はローラータイプ。主にタクシーや誰かの自動車に乗せてもらって移動するときに使っています。そして、温泉や誰かの家に招かれた時のために、室内用の短い杖を持っています。先端はもともと金属ですが、床を傷つけないようにプラスチックのキャップをはめています。メインで使っているのはカーボン製の直杖で、先端はサスペンション構造の「パームチップ」を使っています。これは屋外を歩いて移動するときに主に使っていますが、でこぼこの悪路でも肘に負担がかからず、路面の状況が指先にダイレクトに伝わってくる感じがあります。この杖はメーカーに直接電話して、道路の状態を説明し、お勧めされたものを購入しました。

 私は当初、白杖の歩行訓練を受けてはいなかったので、杖の使い方は全くの我流でした。それでも、持ち歩いていて便利だと思いました。歩行訓練を受けてから、さらに便利に使えるようになりました。何よりも、足元を杖で探りながら歩くことができるのは、非常に安心感があります。自分の家の中はともかく、路上や勝手のわからない屋内を杖なしで歩くと、目隠しをして歩いているようで、とても不安になります。
 最初に白杖を使い始めた頃には、「周りの人はどんな目で私を見るだろうか。さげすまれたりしないだろうか。」そんな思いが頭をよぎっていたのは事実です。しかし、今の世の中は他人に対して無関心な人が多く、私が杖を持っていようが持っていまいが、他の人にとってはどうでもいいことなのです。もちろん中には親切な人がいて、道をあけてくれたり、段差やスロープを知らせてくれたりする人もいます。でも、大概は無視されていることがほとんどです。だから、白杖を持ち歩くことを恐れることはありません。そして、何よりも白杖を持ち歩くことは他の人への警告となります。先にも述べましたが、道路交通法では白杖を持ち歩くことが盲人とそれに類する人の義務とされています。だから、もし事故にあった場合、白杖を持っていなければ、当然そのことが自分へのペナルティとなることが予想されます。まして、その事故が自分が相手を傷つけてしまうような場合はなおさらです。例えば、子供にぶつかって怪我をさせてしまったりしたらどうなるでしょうか。もしその時白杖を持っていなければ、当然一方的に自分の責任になるのではないでしょうか。白杖を持ち歩くことは自分自身と他の人の「守り」になると言うことを忘れないでください。

 あなたが障害者手帳を持っているのなら、サングラスや白杖は「補装具」として、拡大読書器や一部の音声デジタル機器などは「日常生活用具」として、支給を受けることができます。そして、サングラスは屋外用と屋内用の2種類を申請できます。あなたの年収によって、支給額が全額になるか、その一部になるかが決まるので、もしサングラスや白杖や拡大読書器を購入しようと思われる場合は、まず市町村の福祉課でその旨を相談してみることをお勧めします。特に「日常生活用具」は市町村で扱っている品目が若干異なりますが、様々な用具があるので、ぜひ相談して見てください。
 また、こうした道具以外にも「移動支援」と言うサービスなども受けられる場合があります。日常生活で困っていることがあれば、そのこともぜひ相談してみてください。

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4. サプリメント(健康補助食品)

 先に述べたように、網膜色素変性症には治療薬はありません。眼科の外来に行っても、ある種の血管拡張剤と「アダプチノール」という暗順応を高める薬を処方されるぐらいでしょう。それらは結局は治療薬ではなく、「血行を良くして病気の進行が抑えられれば幸いだ」ぐらいのものです。それに、主作用よりも副作用が多い場合もあります。体質によってはかえって具合が悪くなることもないとは言えません。
 海外では、日本でサプリメント扱いされている「ビルベリー」の錠剤が、病院で処方されることもあるようです。「医食同源」と言う言葉があるように、私達の食生活が体調に与える影響は決して過小評価できません。それで、食生活の足りない部分をサプリメントで補うことによって、疲労やストレス、体調不良を緩和することができると言われています。ただし、サプリメントは日本では食品扱いですが、海外では病院で処方される物もあることを忘れてはいけません。どんなサプリメントを摂るべきか、慎重に考えましょう。
(注意)サプリメントと薬の飲みあわせが悪い場合もあります。病院でもらっている薬とサプリメントの成分がぶつからないか、薬剤師やサプリメントのメーカーにきちんと確かめてから利用しましょう。また、サプリメントを飲みすぎることで、薬害と同じように、命に関わる副作用が生じることもあるようです。食品であるとはいえ、体調不良を感じたら服用をすぐにやめて、病院にそのサプリメントを持って行って、医師に相談しましょう。

 

・ブルーベリー、DHA

 ブルーベリーが目に良いと言うことは広く知られている通りです。特に夜盲には良く利くと言うことが実証されています。しかも即効性があり(摂取して4時間ほどで効果が現れる)、24時間ぐらいはその効果が持続します。当然RPの夜盲にも効果があり、網膜の顕著な活性化が見られるだけでなく、視野の拡大という恩恵もあります。ただし、これはあくまで、ブルーベリーの効果が持続している間だけで、決してRPを治癒させる物ではありません。また、劇的な効果が現れるわけではないので、過度の期待を抱くべきではありません。ただ、ブルーベリーのエキスを摂取すると、「なんかいつもより調子良いぞ」と感じさせられるのは確かです。少なくとも、目を酷使する仕事に就いている人や、目の疲れを感じやすい人はその効果を期待できます。ただし、摂取の仕方を誤ると、まったく効果が無いので要注意です。(詳しくはこちらをご覧下さい。)

 そして、DHAも目の疲労回復によく働きます。DHAは魚に多く含まれる成分で、以前から「頭に良い成分」として注目されています。人間の脳内にもDHAは含まれているそうで、これを摂取すると、素早く脳に吸収されるそうです。
 私は以前、目の疲労がひどく、朝起きたときには目やにで目が開かないような状態でしたが、ブルーベリーとDHAの錠剤を合わせて飲むようになってから、そんなこともなくなりました。もちろん、目がまったく疲れないと言うことではありませんが、疲れても、回復が非常に早いように感じます。まだ少しだけ見えている目を使って、色々とものを見るため、当然酷使せざるを得ない状況になりますが、これらのサプリメントを服用するようになってからは、さほど辛くもなくなりました。
 
=補足=
 現在もブルーベリーのエキスが入った錠剤を飲んでいますが、RPの終末期に入っているため、効果があるのかないのか全く実感がありません。ただ、他に網膜に直接働くものもないので、少しでも見えている間は飲み続けようと思っています。

 

・カロチノイド、葉酸、各種ビタミン、カルシウム

 これらは目とは直接関係ありません。目がよく見えないことから来るイライラや、眼精疲労から来る肩こりなどに効くものです。特に、カロチノイドや葉酸は体内の活性酸素を中和する働きがあるようで、RPに起因する、あるいはその他のストレスに対抗することができます。各種ビタミン、特にビタミンB群は末梢神経に作用して、肩凝りなどの痛みを和らげてくれます。そして、カルシウムはイライラを抑えてくれる働きがあります。
 これらのサプリメントの成分は普通の食事からでも取り入れることができるので、栄養面に気を使って食事をしている人にはあまり必要ではありません。しかし、自分が偏った食生活を送っているように感じる人は考慮に値するかもしれません。ただし、薬との飲みあわせや、サプリメントの摂り過ぎにはくれぐれもご注意ください。

 

・プロポリス

 プロポリスは体の抵抗力を強める働きがあります。特に、ブラジル産のプロポリスは免疫力を強める要素が多く含まれているそうです。ただ、プロポリスの成分にはまだ未知数のものが多く、その効能が全て確証されているわけではありません。
 このプロポリスは今のところ直接的にも間接的にもRPとは関係があるとは言えません。しかし、体の抵抗力や免疫を高める作用があることは実証されているので、その恩恵にあずかって損はないと思います。人間、何をするにせよ体が資本です。よく風邪をひくような人は試してみる価値があるのではないでしょうか。

 サプリメントが食品であると言うことは、食品アレルギーの心配もあります。アレルギー体質の方は、安易に利用せず、主治医に必ず相談してください。
 サプリメントを購入する場合は、それが信頼できるメーカーか、必ず確かめましょう。電話での相談窓口があるなら、色々と質問して、臨床検査データなどがしっかり用意されているか確かめるのも一つの方法です。

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5. だから人生は面白い!

 この世に完全な人間などいません。みんなそれぞれ失敗もするし、それぞれに重荷を背負っています。それは健常者であれ障害者であれ同じです。だから、「自分はあの人よりはましだ。」とか、「自分はあの人よりも苦しんでいる。」などと他人と比較するべきではありません。重荷というものはそれを担っているそれぞれの人にとっての重荷であり、その重さや辛さは他人には決してわからないからです。あなたがその荷を背負い、たとえ一歩でも二歩でも前に進むことができたなら、それは、あなた自身にとっての喜ぶべき成果なのです。
 RPは確かに重荷です。そしてその進む道は決して平坦ではありません。しかし「3歩進んで2歩下がる」、それで良いではありませんか。人生は短いようで長いものです。焦ることはありません。かの徳川家康もこう言っています。「人生は、重き荷を負うて、長い道のりを行くがごとし。急ぐべからず。」
 それに、もし人生がよく舗装された緩やかな下り坂だったなら、何の面白みがあるでしょうか。
 ロール・プレイング・ゲームというのをご存じですか?このゲームでは主人公が様々な問題を克服し、その都度成長しながら、最後の強い敵を倒すためにひたすらゴールを目指して突き進みます。エンディングを迎えるまでの間、とにかく次から次へと問題が生じます。しかし、もし何の問題も起きずに、ただ散歩するような形ですんなりエンディングを迎えてしまったなら、このゲームに何の面白みがあるでしょうか。

 人生も色々なことが起きるから面白いのではないでしょうか。辛いこともあるでしょう。悲しいこともあるでしょう。しかし、それが永遠に続くわけではありません。それに、RPは決して命に関わる病気ではないと言うことを忘れないでください。治る見込みはなくても、私達はこの病気に対処していくことができます。次から次へとわき起こる問題に立ち向かっていこうではありませんか!それを乗り越えるときに、私達は人間として成長できるのです。ロール・プレイング・ゲームの主人公のように・・・。くしくも、「ロール・プレイング」の頭文字も「RP」です。
 先ほど人生は長いと言いました。しかし、時間は刻一刻と過ぎていきます。立ち止まっている場合ではありません。頭を上げ、風を感じ、耳を澄まし、匂いをかぎましょう!実際、私達にできることはたくさんあるのです。壁があるなら突き崩し、蹴り上げ、あるいはよじ登ればいいんです。ひょっとしたら、回り道や抜け穴、隠し扉だってあるかも知れません。大事なのは前に進むことです。
 どうしても目の前の壁を越えられないときは、遠慮せずに声をあげましょう。人に助けを求めることは恥ずかしいことではありません。誰かに頼らずに生きている人間など一人もいないのです。卑屈になることはありません。必要なときは勇気を持って、遠慮なく助けを呼び求めましょう。
 山あり谷あり、退屈しない人生を生きられるのも一つの贅沢ではないでしょうか。自分を哀れんで立ち止まっているなら、それは実にもったいないことです。人は誰もが未来への旅人なのです。黙っていても未来はやってきます。それなら、その旅程を目一杯楽しもうではありませんか。

 

「面白き ことも無き世を 面白く」

 

 RPで目が不自由になることは、誰にとっても面白いことではありません。この先、医療が進歩して、この病気の治療方法が確立されるとしても、自分がそれまで生きているかどうかもわかりません。では、そんな自分は「不幸」なのでしょうか?
 たとえ、医学がどれほど進歩しようと、宇宙を漂う元素を集めて、何らかの生命を作り出すことが、人間にできるでしょうか。まして、人間が人間を元素から作ることができるでしょうか。私たちは、生まれてきたことそのものが奇跡のようなものです。目が不自由であろうとなかろうと、今、こうして生きていることを喜べないなら、それこそが本当の不幸ではないでしょうか。
 暗闇の怖さを知らない人は、灯火のありがたみを知ることもないでしょう。「できないこと」の不自由さを知っている私たちは、「できること」のありがたみを誰よりも喜べるはずです。「できない」を「できる」に変えること、そして「できない」より「できる」を増やすこと、これほど面白いことはありません。RPから逃れられないからこそ、精一杯、面白くしてやろうじゃありませんか。

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