ピアノが日本に入ってきたのはいつ?どのように?
これまで、ピアノの歴史や形、機能について述べてきましたが、さてこのピアノはいつ、どのように日本に伝わってきたのでしょうか。
いつ日本に伝わったのか?
残念ながらピアノがいつ日本に伝わったという確かな文献資料はありません。しかし、日本で一番古いピアノは山口県萩市の熊谷家に保存されています。
このピアノは1823年に来日したオランダ商館の医師、シーボルトによって日本に持ち込まれました。製造されたのは1806年頃のロンドンで、スクエア型のピアノです。スクエア型というのは四角いテーブルのような形をした小型のピアノです。1828年の「シーボルト事件」でシーボルトが帰国する際に熊谷家に寄贈したとされています。そのわずか40年後、時代は江戸から明治へと移り変わっていくのです。
ちょっと前のページでピアノの先祖であるダルシマー(揚琴)が江戸時代末期に日本に伝わったと述べましたが、くしくも、先祖とその子孫である楽器が同じ時代の日本に、しかもアジアとヨーロッパという異なる文明を通して伝わっていたのです。なんだか運命的というか、歴史のロマンを感じますね。
どのように伝わったのか?
シーボルトはドイツ人でしたが、オランダ医学を日本に伝えた人の一人としてとても有名です。でもその当時は今のように飛行機などありませんでした。何ヶ月もかけて船で旅行したのです。しかし、クレーンもトラックもない時代にいくら小型のピアノだとはいえ、運ぶのは結構大変だったでしょうね。しかし、なぜ医者であるシーボルトが、わざわざかさばる荷物であるピアノを日本まで持っていこうと思ったのでしょうか。
シーボルトは日本人の若者に医学を教えるなど、医者として、教育者としての功績ばかりが注目されていますが、それ以外に「博物学者」としてもとても優秀な人でした。博物学とは「動物学・植物学・鉱物学・地質学などの総称」(岩波国語辞典)です。それで、シーボルトは日本の動物や植物、日本の文化、日本人そのものについて注意深く観察し、それをスケッチしてたくさんの資料を母国に持って帰りました。もちろん、シーボルトが観察したものの中に、日本の「音楽」もあったのです。
動物や植物は絵に描けます。でも、音楽はどうしようもありません。その当時は録音機などまだなかったのです。では、どうするのか?音楽を聴いて“楽譜に書く”のです。
シーボルトは貴族の家系でしたので、ある程度たしなみとしてピアノを弾けたようです。でも、プロの音楽家ではありませんから、音楽を聴いて楽譜をおこすためには何か楽器が必要です。そこで、ピアノが登場するわけです。シーボルトは色々な音楽を聴いてはそれをピアノで弾いてみて、楽譜に書いて祖国へ持って帰ろうとしていたのでしょう。
現在、シーボルトの子孫にあたる人が、そのシーボルトの自筆の楽譜を大切に保管しています。その楽譜は日本の「かっぽれ」を楽譜にしたものです。あるテレビ番組で作曲家の羽田健太郎さんがその方を訪ねて、その「かっぽれ」の楽譜を演奏していました。とても「かっぽれ」には聞こえなかったのですが、まったく文化の違う日本の音楽を一生懸命記録しようと苦労しているシーボルトの姿が目に浮かぶようでした。
1999年、熊谷家に保存されていたシーボルトのピアノが修復され、そのピアノによる演奏会が催されました。ニュースの映像だけではその音がどのようなものかはわかりませんでしたが、きっと、歴史的なロマンをいっぱい感じさせられる音だったでしょうね。
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